なぜ会議で正論は嫌われるのか
——追放された忠臣と、生き残った道化
リア王
会議で、誰かが完全に正しいことを言って、場が静まりかえる瞬間がある。指摘に穴はない。数字も筋も通っている。反論できる人は一人もいない。それなのに、その場に流れるのは「よく言ってくれた」ではなく、「言っちゃったな」に近い空気だ。そして何か月かあとに気づくと、その人はなぜか大事な話から外れている。
一方で、似たような中身を、もっと軽い言い方で、もっと何度も言っている人もいたりする。そちらは外れない。むしろ「あの人は言いにくいことを言ってくれるから」と重宝されていたりする。二人が言っていた内容は、そんなに違わないはずなのに。
正しさは、なぜそのままでは通らないのか。この問いに、シェイクスピアはかなり容赦のない答えを出していると思う。しかも一本の劇の開幕で、正論を言う二人の人間をわざわざ並べ、片方を追放し、片方を最後まで王のそばに置いてみせる。『リア王』である。
材料——誰の目にも明らかな間違いが、目の前で進行している
この場面がどれだけ無茶かは、少し引いて見るとよくわかる。王は、統治能力ではなく「愛の申告額」で国土を分配しようとしている。しかも順番も配点も王の胸ひとつだ。そして末娘が黙った瞬間、激高して彼女の取り分をゼロにする。
誰かが止めるべき局面だ。実際、一人だけ止めに入る。ケント伯爵、リアを王として敬い、父として愛し、主人として付き従ってきたと自ら語る古参の忠臣である。彼のやり方は、まったくの正攻法だった。
Be Kent unmannerly, / When Lear is mad. ... Think'st thou that duty shall have dread to speak, / When power to flattery bows? To plainness honour's bound, / When majesty stoops to folly. Reserve thy state, / And in thy best consideration check / This hideous rashness.
リアが狂うなら、ケントは無作法になろう。(中略)義務というものが、口を開くのを恐れるとお思いか。権力が追従に頭を下げているというのに。王の威厳が愚行に身を落とすとき、名誉は率直であることに縛られるのだ。王としての地位は手放されるな。よくお考えのうえ、この見苦しい軽率さに歯止めをおかけください。(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
惚れ惚れするほど正しい。しかも彼は、自分が無礼を働いていることを承知のうえで、それでも言うと宣言している。会議で言えばおそらく議事録に残したいくらいの発言だ。しかも彼は「王としての地位は手放すな」とまで踏み込んでいる。リアは「命が惜しければそれ以上言うな」と遮る。ケントは引かない。
LEAR: Out of my sight! / KENT: See better, Lear; and let me still remain / The true blank of thine eye.
リア「目の前から消えろ」/ケント「もっとよく見ろ、リア。そして私を、あなたの目が狙う的の、その白い中心に置いたままにしておけ」(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
blank というのは的の中央の白点のことだ。射るならここを狙え、私はあなたの照準の真ん中にいてやる——正しさに命を賭ける台詞として、これ以上のものはなかなかない。
結果は追放である。判決はその場で下る。旅支度に五日、六日目には国を出ろ、十日目に領内で見つかれば即死刑だ、と王は言い渡す。長年仕えた最古参の家臣が、正しい指摘をしたというだけで、ほんの数分の場面で国外へ消えることになる。
ところが、同じ中身を言い続けている人間が、もう一人いる
ここからが本題だと思う。ケントが追放されてほどなく登場するのが、リアの道化だ。彼が劇のあいだじゅう言っていることは、要約するとケントとまったく同じである。国を娘に譲ったのは間違いだった。それだけだ。違うのは言い方で、彼はそれを、なぞなぞと、歌と、下らない冗談に包んで出す。
FOOL: Nuncle, give me an egg, and I'll give thee two crowns. / LEAR: What two crowns shall they be? / FOOL: Why, after I have cut the egg i' the middle and eat up the meat, the two crowns of the egg. When thou clovest thy crown i' the middle, and gavest away both parts, thou borest thine ass on thy back o'er the dirt.
道化「おじさん、卵をひとつくれよ。かわりに冠を二つやるから」/リア「どんな二つの冠だ」/道化「そりゃ、卵を真ん中で切って中身を食っちまえば、殻の冠が二つ残るだろ。あんたは自分の冠を真ん中で割って、両方くれてやった。あれじゃ、ロバを背負って泥の中を渡ったようなもんだ」(拙訳)
『リア王』第1幕第4場
crown は王冠であり、当時の硬貨の名でもあり、卵の殻の丸い部分でもある。その三つを一本の駄洒落でつなぎ、最後は「ロバを背負って泥の中を歩いた男」の寓話に落とす。言っていることは「あなたは国を割って両方手放した大馬鹿者だ」で、ケントの発言よりむしろきつい。それでも彼は追放されない。
さらに露骨なのが、この場面の少し前のやりとりだ。王が「口をつつしめ、鞭が飛ぶぞ」と脅すと、道化はこう返す。
LEAR: Take heed, sirrah; the whip. / FOOL: Truth's a dog must to kennel; he must be whipped out, when Lady the brach may stand by the fire and stink.
リア「気をつけろ、小僧。鞭が飛ぶぞ」/道化「真実ってやつは犬小屋行きの犬でね。鞭で外へ叩き出される。そのあいだ、ご立派な雌犬さまは暖炉のそばに立って臭っていられるってわけだ」(拙訳)
『リア王』第1幕第4場
真実は叩き出され、追従は暖炉のそばに残る。ケントに起きたことを、たった一行で言い当てている。しかもそれを、鞭で脅されている当人が、脅している相手に向かって言うのだ。
なお、この「道化だけが王に本当のことを言える」という制度そのもの——いわゆる愚か者の免許——についてはTHEME 05で正面から扱った。この記事で見たいのはそこではなく、もっと狭い一点だ。同じ中身を持った二人のうち、なぜ片方だけが生き残ったのか。伝え方の違いによる生存率の差、という話に絞りたい。
違いは中身ではなく、受け手に逃げ場を残したかどうかだと思う
二人を並べてみて、僕の読み方ではこうなる。ケントの直言と道化の冗談の決定的な差は、聞かされた側に、どんな出口が残っているかだ。
ケントの言い分には、穴がない。穴がないということは、聞いた側に「自分が間違っていました」と認める以外の出口がない、ということでもある。しかも家臣たちが並んでいる前でそれをやられている。リアに残る選択肢は、非を認めて全面撤回するか、言った人間を消すかの二つだけだ。そして人はたいてい、後者を選ぶ。
道化の冗談には、出口が二重についている。ひとつは「これは冗談だ」という出口。笑って流せば、その場は何も起きなかったことにできる。もうひとつは「言っているのは阿呆だ」という出口。真に受ける必要がない、という体裁が最初から用意されている。だからリアは、聞き流すという形で、この毒を毎日受け取り続けることができる。そして聞き流しているつもりのものは、少しずつ入ってくる。人が意見を変えるのは、たいてい論破された瞬間ではなく、同じことを何度も浴びたあとで、なんとなく自分で思いついた顔をするときだと思う。
会議に戻すと、こういうことになるのだろうか。正論が嫌われるのは、内容が不快だからではなく、受け手が体面を保ったまま撤回できる道を塞いでしまうからだ。人は間違いを指摘されることには耐えられても、間違いを認める姿を人前で見られることには耐えにくい。だとすれば、通したい正論があるときに設計すべきなのは、指摘の精度ではなく、相手の降り方のほうなのかもしれない。
もっとも、現実の会議がそこまで単純だとも思わない。単に虫の居所が悪かっただけ、という日も山ほどあるだろうと思う。
補強——正しさを通すために、彼は別人になった
この読みを裏づけてくれるのが、追放されたあとのケントの行動だ。彼は国を出ない。変装して、名も身分も捨てて、リアの家来として雇われ直す。第1幕第4場の冒頭、彼はこう独白する。
If but as well I other accents borrow, / That can my speech defuse, my good intent / May carry through itself to that full issue / For which I razed my likeness.
あとは、話し方のほうもうまく借りて、自分の言葉づかいを崩すことさえできれば、この善意も、そのままの形で目指す結末まで運べるかもしれない。そのために私は、自分の見た目を削り落としたのだ。(拙訳)
『リア王』第1幕第4場
razed my likeness——自分の顔かたちを削り落とした。彼は正しい意見を届けるために、外見を変え、訛りを借り、身分を捨てている。同じ中身を同じ相手に届け直すだけで、これだけの費用がかかる。ちなみに訛りを借りるという手口は、同じ劇の中でもう一人が使っている。LENS 01で扱ったエドガーだ。この劇では、正しいことをしようとする人間が、そろって自分の声を捨てている。
そしてもう一本、対になる記事がある。LENS 06で書いたコーディリアの沈黙だ。開幕の第1幕で、シェイクスピアは三通りの実験を並べてみせる。黙る(コーディリア、第1幕第1場)、まっすぐ言う(ケント、同)、包んで言う(道化、第1幕第4場)。前の二人はその場から追い出され、三人目だけが最初から王のそばにいる。
ただし、包み紙は届けやすくするが、効くとは限らない
ここで公平を期しておきたい。道化のやり方が正解だった、という話にはならないと思う。彼はリアを止められていないからだ。あれだけ言い続けても、王は自分の過ちを認めないまま娘たちに追い出され、嵐の荒野に出ていく。冗談という包み紙は、真実を相手の懐に入れることには成功したが、相手を動かすところまでは届かなかった。届きやすさと効き目は、別の話なのだ。
しかも道化には後日談がない。第3幕を最後に、彼は何の説明もなく劇から消える。最後の台詞は「じゃあ俺は昼に寝るとするよ」(この退場をどう読むかはTHEME 05に書いた)。生き残ったといっても、何かを勝ち取ったわけではないのだ。
言い方を設計すれば通る、という単純な話でもないのだと思う。THEME 12で見たアントニーの葬送演説のように、包み方が完璧に決まって群衆が動く例もシェイクスピアは書いている。ただしあれは、聞き手が動きたがっているときの話だ。リアのように聞く気のない相手には、どんな包み紙も入り口までしか運んでくれない。
ケントは正しかった。そして追放された
この二つは両立する。それがこの劇のいちばん冷たいところだと思う。ケントが第1幕第1場で言ったこと——末娘は口数が少ないだけで愛が少ないわけではない、低い声が空洞を響かせないからといって心が空っぽとは限らない——は、その後の四幕で全部そのとおりになる。彼は一度も間違えていない。それでも追放され、変装してまで戻り、最後は主人の死を看取って、自分も後を追うように舞台を去る。正しさは、彼を一度も守ってくれなかった。
だからといって、これを「空気を読め」という教訓にするのは、たぶん取り違えだと思う。もしそう読むなら、この劇でいちばん賢い立ち回りをしたのは、王に嘘の愛を申告して領地を取った上の二人ということになってしまう。彼女たちは劇の終わりまでに全員死ぬ。シェイクスピアは、そちらの生存戦略にはもっと厳しい採点をつけている。
持ち帰れるものがあるとすれば、こうだと思う。正しさは、それだけでは配送手段を持っていない。中身が正しいことと、それが相手の手元に届くことは、別々に用意しなければならない二つの仕事だ。逃げ場を残すのは、相手に譲ることではなく、自分の意見を配達するための梱包作業なのだと思う。
もっとも、この劇で梱包が上手だったのは道化ひとりで、その道化も途中で消える。というわけで、次に会議で言うか言うまいか迷ったときは、僕はたぶん、追放されたケントと、昼に寝ると言って消えた道化の両方を思い出すことになる。どちらの顔が浮かぶかは、その日の議題によると思う。