「察してほしい」はなぜ伝わらないのか
——沈黙がいちばん高くついた話
リア王
「言わなくてもわかってほしい」と思ったことは、たぶん誰にでもあると思う。相手が家族でも、恋人でも、職場の同僚でも。これだけ一緒にいるのだから、いちいち説明しなくても察してくれてもいいのではないか——という、あの感じだ。
しかも厄介なことに、それは単なる甘えとも言い切れない。本当に大事な気持ちほど、口に出したとたんに安っぽくなる。「ありがとう」も「大切に思っている」も、声にした瞬間、どこかで聞いた台詞に似てしまう。だったら黙っているほうがまだ誠実なのではないか、と。
その感覚は、たぶん正しいのだと思う。ただし、代償がある。そしてシェイクスピアは、その代償を、ある劇の最初の5分で見せてしまう。今回はその話をしたい。
材料は『リア王』の開幕5分
まず、上の娘たちの答え方を見ておきたい。長女ゴネリルの申告はこうだ。
Sir, I love you more than word can wield the matter; / Dearer than eyesight, space, and liberty; / Beyond what can be valued, rich or rare; / No less than life, with grace, health, beauty, honour; ...
父上、私はあなたを、言葉では扱いきれないほどに愛しております。視力よりも、広がりよりも、自由よりも大切に。値がつけられるどんな貴重なものより上に。命そのものに劣らず、気品も、健康も、美も、名誉も添えて。(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
読めばわかるとおり、中身が何もない。「言葉では扱いきれない」と言いながら言葉を並べ、比較対象を積み上げているだけだ。この長女の申告が終わった瞬間、末娘のコーディリアは客席に向かってつぶやく。
What shall Cordelia speak? Love, and be silent.
コーディリアは何を言えばいいのか。愛して、そして黙っていよう。(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
「愛して、そして黙っていよう」。この一行に共感する人は、たぶん少なくないと思う。姉たちと同じ土俵に上がることは、彼女にとって、自分の気持ちを姉たちと同じ安さに落とすことだった。このあと次女リーガンがさらに盛る。姉と同じ材質でできている、いや姉の言葉では足りない、と。二人とも、これが入札であることを理解して、相場どおりの数字を書き込んでいる。そして順番が回ってきたとき、コーディリアが口にしたのは、実質たった一語だった。
CORDELIA: Nothing, my lord. / LEAR: Nothing? / CORDELIA: Nothing. / LEAR: Nothing will come of nothing: speak again.
コーディリア「何も、父上」/リア「何もだと?」/コーディリア「何も」/リア「無からは無しか生まれぬ。もう一度言ってみよ」(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
そして、この記事でいちばん取り上げたい一行が続く。
Unhappy that I am, I cannot heave / My heart into my mouth.
不器用な身ですので、私は心を口まで持ち上げることができません。(拙訳)
『リア王』第1幕第1場
「心を口まで持ち上げる(heave my heart into my mouth)」。heave は重い物を持ち上げるときの動詞だ。彼女は、自分の気持ちを口に運ぶ作業を、荷役のような肉体労働として言っている。そしてそれができない、と言う。
注意したいのは、彼女が「愛していない」とも「言葉が見つからない」とも言っていないことだ。彼女は言えないのではなく、言葉にすると別のものになると知っているのだと思う。姉たちが目の前でやってみせたばかりだからだ。心は口まで持ち上げる途中で、必ず何かに変わる。だから持ち上げない。それが彼女の選択だった。
彼女の言い分は、たぶん正しい
ここで、コーディリアの側に理があることは確認しておきたい。第一に、姉たちの言葉が空疎だったのは僕の印象ではなく、劇が証明している。あれだけの美辞麗句を並べた二人は、領地を手に入れた直後から父の待遇を切り下げ、供の騎士の数を値切り、最後には嵐の夜に締め出す。言葉の量と中身は、この劇では見事に反比例している。
第二に、愛を口頭で申告させて土地と交換する父の要求のほうが、明らかにおかしい。測れないものを測ろうとする人がいたら、測定を拒むほうが誠実だという考え方はありうる。
なお、この「愛を財産として計ろうとした父」の側の問題——娘は財産なのか人格なのか——はTHEME 07で正面から扱ったので、父と娘という関係そのものに関心がある人はそちらを読んでほしい。この記事で見たいのはそこではなく、伝え方の問題としてのこの場面だ。
それでも、起きたこと
コーディリアは持参金ゼロで勘当される。国は上の二人に分割され、リアは行き場を失って荒野をさまよい、正気を手放す。副筋のグロスター伯爵は両目をえぐられ、姉妹は同じ男を奪い合って共倒れになる。そして終幕、コーディリア自身も殺される。COLUMN 05で数えたとおり、この劇の死者は約10人だ。
もちろん、その全部を彼女ひとりの沈黙のせいにするのは乱暴だと思う。父の愚かさ、姉たちの野心、エドマンドの謀略——原因はいくらでもある。それでも劇の構造としては、すべての引き金が開幕5分の一語「Nothing」に置かれている。シェイクスピアはこの劇を、言うべきことを言わなかった代償の見積書として組み立てた。そして提示された金額が、あまりに高い。
省かれたのは、愛ではなく翻訳の手間だった
では彼女は何を間違えたのか。僕の読み方では、彼女が省いたのは愛ではなく、翻訳の手間だ。
心の中にあるものは、そのままの形では相手に渡せない。渡すには、言葉という別の材質に移し替える作業がいる。そしてこの作業には必ず損失が出る。「言葉にすると安っぽくなる」という感覚は、その損失を正確に捉えている。だから彼女の直感は正しい。
ただ、損失が出るからといって作業ごと省くと、相手に渡るものはゼロになる。7割で渡すか、0で渡さないかの選択なのに、僕たちはつい「10割で渡せないなら意味がない」と考えてしまう。彼女は heave という動詞で、この作業がしんどいことをちゃんと認識していた。認識したうえで、やらなかった。
そしてその沈黙には、「父ならわかってくれるはずだ」という前提がある。けれどそれは、相手の読解力に自分の気持ちの伝達を委託しているということでもある。委託先の能力は、こちらでは選べない。しかも彼女が委託した相手は、よりによってその日、耳あたりのいい言葉しか受け付けない状態になっていた老人だった。
正しさは、伝達を保証しない。この二つは別の話なのだと思う。
補助線——真実はそのままの姿では流通しない
このサイトで記事を書き続けていると、繰り返し出てくる軸がある。本当のことは、そのままの姿では相手に届かない。包み紙が要る、という軸だ。
THEME 12で見たアントニーは、『ジュリアス・シーザー』の葬送演説で、暗殺者を非難してはならないという条件下に立たされる。彼は正面から反論せず、まず相手を褒め、遺言状をちらつかせ、マントの裂け目と遺体を見せ、群衆に自分で結論を出させる。言いたいことはひとつなのに、包み紙を何重にも用意している。そして勝つ。
THEME 05の道化はもっと露骨だ。王に面と向かって「あなたは愚かだ」と言えば首が飛ぶ。だから彼らは歌にし、なぞなぞにする。冗談という包み紙をかけたときだけ、真実は王のところまで運ばれる。しかも面白いことに、道化がやっているのは、コーディリアが引き受けなかったほうの仕事だ。国を手放したのは愚かだ、と王に言い続ける役目——正面から言って追放された忠臣ケントと同じ内容を、道化は歌となぞなぞに包んで運び、王のそばに残った。同じ真実でも、包み紙の有無で行き先がここまで変わる。
コーディリアは、包まなかった人なのだと思う。中身は本物だった。ただ、裸のまま差し出したので、受け取られなかった。
素直な言葉が出るまでに、四幕かかっている
この劇に救いがあるとすれば、第4幕第7場だ。すべてを失って正気まで手放したリアが目を覚まし、目の前にいるのがコーディリアだと気づく。ここで彼はようやく、自分は愚かでたわいない老人だ、と自分の口で認める(この場面は「老いと退場」という角度からTHEME 11でも触れた)。そして、その直後に返ってくる娘の言葉が、あの「Nothing」とほとんど同じ長さしかない。
LEAR: I know you do not love me; for your sisters / Have, as I do remember, done me wrong: / You have some cause, they have not. / CORDELIA: No cause, no cause.
リア「お前が私を愛していないのはわかっている。姉たちは、覚えているかぎり、私にひどいことをした。お前には恨む理由がある。あの二人にはない」/コーディリア「理由などありません、ありません」(拙訳)
『リア王』第4幕第7場
四語である。しかも同じ二語の繰り返しなので、実質は二語だ。第1幕の「Nothing」と長さはほとんど変わらないのに、今度はちゃんと届いている。違うのは、たぶん相手の状態だ。リアが自分から先に「私が愚かだった」と口にし、受け取る側の器ができてから、短い言葉が入った。つまりこの劇は、素直な言葉がひとこと出てくるまでに四幕かかる話でもある。その四幕のあいだに払われたものが、あの死者数だ。
「察してほしい」は、作業の外注である
「察してほしい」が伝わらないのは、相手が鈍いからではない。察するという作業を、相手に外注しているからだ。しかも見積もりも納期も渡さずに。こちらで引き受けなかった翻訳の手間が、そのまま相手の宿題になっていて、相手はたいてい、その宿題が出ていることにすら気づいていない。
とはいえ、これを「だから何でも言葉にしよう」という教訓にするつもりはない。姉たちが証明したとおり、言葉はいくらでも空回りできる。ちょうどいい量は、人によっても関係によっても違うのだろうと思う。
ただ、この件から持ち帰れるものがひとつだけあるとすれば、これだと思う。彼女は正しかった。ただ、正しいことと、伝わることは、別の話だった。心を口まで持ち上げるのは、たしかに重労働だ。それでも、持ち上げないと相手の手には届かない。
というわけで、今日どうしても言えなかったことがある人へ。四幕もかけずに済むといい、くらいのことは思っている。もっとも、書いている僕自身がいちばん黙りがちなので、偉そうなことは言えないのだけれど。