THEME 14

シェイクスピアの友情論
——最後まで生き残る友情の条件

ハムレット / ヘンリー四世 / ロミオとジュリエット / ヴェニスの商人

シェイクスピア劇の友情は、恋愛にくらべると数が少ない。台詞の量でも、場面の数でも、恋人たちに遠くおよばない。それなのに、しばしば恋愛より重い場所に置かれている。悲劇のスイッチを押すのが友の死だったり、王家が全滅した後に舞台へ残るのが友一人だったり、命を担保に差し出すのが恋人ではなく友だったりする。

今回は、そういう友情を四組並べてみたい。生き残ったもの、切り捨てられたもの、殺されたもの、危うく命を落としかけたもの。並べていくうちに、シェイクスピアが友情に課している条件のようなものが見えてくる気がする。

ハムレットとホレイシオ——何も求めてこない男

作品メモ 『ハムレット』——父王を叔父に殺されたと亡霊に告げられた王子ハムレットは、狂気を装いながら復讐の機会をうかがう。ホレイシオは大学時代からの学友で、王子が唯一、身分ではなく本人として付き合う相手である。

第3幕第2場、劇中劇が始まる直前。叔父の反応を試そうと張りつめているはずの場面で、ハムレットは唐突に、ホレイシオへの信頼を長々と語り出す。段取りの確認をすればいいところで、なぜか友情の告白が入る。

A man that fortune's buffets and rewards / Hast ta'en with equal thanks ... Give me that man / That is not passion's slave, and I will wear him / In my heart's core, ay, in my heart of heart, / As I do thee.

運命の殴打も恩賞も、等しい感謝で受け止めてきた男。(中略)情念の奴隷にならない、そういう男をくれ。その男を僕は心の芯に、そう、心の中の心に住まわせよう。今、君にそうしているように。(拙訳)

『ハムレット』第3幕第2場

ここでハムレットが褒めているのは、賢さでも忠誠でもない。殴打と恩賞を同じ顔で受け取れることだ。裏返せば、得をしても損をしても態度が変わらない人間、ということである。ハムレットの周りには、その反対の人間しかいない。旧友のローゼンクランツとギルデンスターンは王に雇われて様子を探りに来るし、恋人オフィーリアの背後にも父の指示がある。誰もが何かを得るために近づいてくる城で、ホレイシオだけが何も求めてこない。THEME 06で書いたとおり、番兵たちが見たものを疑いに来て、結局いちばん確かな証人になったのも彼だった。証言者になれるのは、利害のない人間だけだ。

そしてこの友情は、劇の最後で報われる、というより、劇の最後にだけ残る。毒と剣で舞台が死体だらけになったとき、後を追って死のうとするホレイシオを、ハムレットが止める。

If thou didst ever hold me in thy heart, / Absent thee from felicity awhile, / And in this harsh world draw thy breath in pain, / To tell my story.

もし君が、少しでも僕を心に置いてくれていたなら——安らぎからはしばらく遠ざかっていてくれ。この過酷な世界で、苦しい息をつき続けてくれ。僕の物語を語るために。(拙訳)

『ハムレット』第5幕第2場

「僕の物語を語るために」。王家がほぼ全滅する劇で(数え方についてはCOLUMN 05で遊んでみた)、生き残って物語を引き受けるのは、王でも親族でもなく友人なのだ。しかもハムレットは、友に楽をさせない。安らかに死ぬなと言い、苦しい息をつけと言う。友情への報酬が、重い荷物である。それでもホレイシオはそれを引き受け、幕切れで実際に語り始める。僕の読み方では、この劇の最後に残るのは復讐の成否ではなく、「語ってくれる人がいたかどうか」だ。

ハル王子とフォルスタッフ——清算される友情

作品メモ 『ヘンリー四世』——放蕩の王子ハルは、酒場の老騎士フォルスタッフたちと遊び暮らしている。やがて王子は戦場で名誉を回復し、父の死とともにヘンリー五世として即位する。フォルスタッフは新王の恩顧を当て込んで、戴冠の行列へ駆けつける。

ホレイシオの反対側に置きたいのが、この一組だ。詳しくはCHARACTER 01に書いたので、ここでは友情論としての要点だけを取る。戴冠の行列で名を呼びかけたフォルスタッフに、新王が返す言葉。

I know thee not, old man: fall to thy prayers; / How ill white hairs become a fool and jester! ... But, being awaked, I do despise my dream.

私はおまえを知らない、老人よ。祈りに励むがいい。白髪の似合わぬことだ、道化に、たわけ者に。(中略)だが目が覚めた今、私は自分の見た夢を軽蔑する。(拙訳)

『ヘンリー四世・第二部』第5幕第5場

残酷な台詞だが、王としては正しい。問題は、この友情が最初から非対等だったことだと思う。フォルスタッフは王子に笑いと居場所を提供し、その見返りとして、王子が王になった日の恩顧を当てにしていた。実際、彼は行列に駆けつける道中で、友人たちに官職を約束してみせる。つまりこれは友情の顔をした先行投資だ。投資である以上、いつかは決算が来る。「私はおまえを知らない」は、そのときに突きつけられた収支報告書のようなものである。ホレイシオが最後まで何も求めなかったのと、ちょうど裏返しになっている。

ロミオとマーキューシオ——友の死が、悲劇のスイッチを押す

『ロミオとジュリエット』は恋愛悲劇として記憶されているが、話の向きを変える一撃は恋愛の側から来ない。第3幕第1場、ティボルトの挑戦を断ったロミオに代わってマーキューシオが剣を抜き、その斬り合いを止めようとロミオが割って入る。その腕の下から突かれて、マーキューシオが死ぬ。

I am hurt. / A plague o' both your houses! I am sped.

やられた。両方の家に疫病が降れ。もう終わりだ。(拙訳)

『ロミオとジュリエット』第3幕第1場

マーキューシオはモンタギューでもキャピュレットでもない。どちらの家にも属さない、ただロミオの友人というだけの人物だ。その第三者が、両家の抗争のとばっちりで死に、死に際に「両方の家に疫病が降れ」と呪う。恋愛悲劇の折り返し点に、友情の死が置かれているのだ。ここまで軽口を叩き続けてきた男が消えた瞬間、劇の空気は一変し、ロミオはティボルトを斬り、追放され、あとは坂を転げ落ちるだけになる。COLUMN 01で書いたとおり、この劇は実質5日間の話で、この場面はその2日目——結婚式のわずか数時間後に置かれている。愛が二人を近づけ、友の死が二人を引き離す。そういう設計に見える。

アントニオとバッサーニオ——命を担保に入れる友情

作品メモ 『ヴェニスの商人』——商人アントニオは、友人バッサーニオの求婚資金を用立てるため、金貸しシャイロックから借金する。担保は、期日に返せなければ自分の肉一ポンドを差し出すという証文だった。

四つめは、友情の熱量としてはおそらく最も高い。バッサーニオがまだ具体的な金額を言い出す前に、アントニオはこう言ってしまう。

Be assured, / My purse, my person, my extremest means, / Lie all unlock'd to your occasions.

安心してくれ。僕の財布も、僕の身も、僕の持てるかぎりのものも、すべて鍵を外して、君の入り用のために開いてある。(拙訳)

『ヴェニスの商人』第1幕第1場

財布と身体を並べて差し出す。この時点では言葉の綾に聞こえるが、劇はこれを文字どおりに実現してしまう。証文の担保は本当に彼の身体になり、法廷で胸をはだけさせられ、刃を構えられるところまで行く。ここまで来ると、友情がほとんど恋愛の位置を占めている。実際、アントニオの憂鬱の理由を友への愛に読む解釈は、上演の世界でも批評の世界でも長く語られてきた。台詞そのものは断定を避けているので、どちらとも決めきれないところが、この人物の陰影になっていると思う。

ただ、この友情には最初から最後まで金銭がまとわりついている。始まりは借金の相談で、山場は証文の期日で、終わりは船が無事だったという知らせだ。友情の証明が金額と契約書で行われる劇——という点で、ここは友情論と金銭論の境目になる。その先についてはTHEME 15で詳しく書いた。

並べてみて見えること——求めた瞬間に、友情は取引になる

四組を並べ直す。ホレイシオは何も求めず、最後まで残った。フォルスタッフは見返りを当てにして、清算された。マーキューシオは家の外にいたまま巻き込まれて死に、アントニオは友のために自分を担保に入れて、危うく命を落としかけた。

生き残る友情と、清算される友情を分けているものは何か。僕の読み方では、対等さと、何も求めないことの二つだと思う。ホレイシオとハムレットは身分こそ違うが、やりとりの中身は最後まで対等で、ホレイシオは王子から何ひとつ取っていない。フォルスタッフは最初から恩顧を当てにしていた。アントニオは何も求めなかった代わりに、与えすぎて自分を差し出してしまった——与えすぎもまた、対等さを壊す。求めた瞬間に友情は取引になり、取引には必ず決算日が来る。そして決算日には、立場の強いほうが勝つ。

こう整理してしまうと身も蓋もないが、逆に言えば、シェイクスピアの友情論は400年ぶんの時差をほとんど感じさせない。誰と誰がつながっているかが可視化され、そのつながりが数字で数えられ、貸し借りの記録が残ってしまう時代に、僕たちは「何も求めない相手」をどれだけ持っているだろうか。ハムレットが心の芯に住まわせた条件——運命の殴打も恩賞も同じ顔で受け取る人——は、今読んでも、ちょっと厳しすぎる採用基準だと思う。

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