LENS 09

悪い知らせを持ってきた人が、なぜ嫌われるのか
——シェイクスピアが書いた「運び手を殴る」場面

アントニーとクレオパトラ / ヘンリー四世・第二部

悪い報告を上げたら、なぜか自分の評価のほうが下がっていた——そういう経験を、一度くらいはしたことがないだろうか。障害を最初に見つけて報告した人が、いつのまにか責められる側に回っている。芳しくない数字を持っていった人が、不機嫌な顔で迎えられる。持っていったのは事実であって、その事実を作ったのはその人ではないのに。

理屈で言えば、知らせの中身と、それを運んできた人間は別物だ。それなのに、僕たちはこの二つをうまく切り離せないらしい。この現象にきちんとした名前がついているのは見たことがないけれど、名指しで書いた人ならいる。しかも、そのものずばりの一行で。

まず、その一行から

作品メモ 『アントニーとクレオパトラ』——ローマの実力者アントニーは、エジプトの女王クレオパトラに溺れ、ローマの義務と地中海の快楽のあいだで引き裂かれていく。若きシーザーとの対立はやがて戦争になり、二人は敗れて、それぞれの死へ向かう。史実を下敷きにした後期の悲劇。

第1幕第2場。エジプトにいるアントニーのもとへ、使者が芳しくない報せを持ってくる。使者は言い出しにくそうにしていて、アントニーが先を促すと、こう漏らす。

MESSENGER: The nature of bad news infects the teller. / ANTONY: When it concerns the fool or coward. On: / Things that are past are done with me. 'Tis thus: / Who tells me true, though in his tale lie death, / I hear him as he flatter'd.

使者「悪い知らせというものは、その性質からして、運んできた者まで汚してしまうものでして」/アントニー「それは相手が愚か者か臆病者のときの話だ。続けろ。過ぎたことは、私の中ではもう終わっている。つまりこういうことだ——本当のことを告げてくる者なら、その話の中に私の死が転がっていようと、世辞を言われたのと同じように聞いてやる」(拙訳)

『アントニーとクレオパトラ』第1幕第2場

「悪い知らせは、運んできた者まで汚す」。使者のほうが先に、自分の立場を言語化している。それに対するアントニーの返しも見事で、彼はここで理想の聞き手を宣言してみせる。真実を言う者は、たとえその中身が自分の死であっても、褒め言葉と同じ顔で聞く、と。

この宣言は、直後に軽く試される。アントニーはこの場面でローマの妻フルヴィアの死を知らされ、いちおうは取り乱さずに受け止める。宣言を守れない人物は、同じ劇の別の場所にいる。しかも、この劇の主役の片割れである。

女王は、運び手を殴る

第2幕第5場。エジプトの宮廷に、ローマからの使者が到着する。持ってきたのは、アントニーがローマでオクタウィアと結婚したという知らせだ。クレオパトラにとって、これ以上悪い報せはない。

使者はなかなか結論を言わない。まず「あの方はご無事です」とだけ告げ、そのあとを濁す。女王は褒美の金貨をちらつかせながら先を促し、同時に「悪い話ならその金貨を溶かして喉に流し込む」という趣旨のことも言う。飴と鞭を両手に持った状態で、彼女は結論を待っている。そしてついに、使者は言う。あの方はオクタウィア様と結婚なさいました、と。

女王の反応は、台詞よりもト書きのほうが雄弁だ。「もっとも感染力の強い疫病がお前に取り憑くがいい」と叫ぶなり、彼女は使者を殴り倒す。もう一度殴る。そのまま引きずり回す。「その目玉を毬のように蹴り飛ばしてやる、髪をむしり取ってやる」「針金で鞭打って、塩水で煮て、じわじわ痛むように酢漬けにしてやる」。使者はそこで、こう言い返す。

MESSENGER: Gracious madam, / I that do bring the news made not the match.

使者「恐れながら女王様、報せを運んできたこの私が、その縁組をまとめたわけではございません」(拙訳)

『アントニーとクレオパトラ』第2幕第5場

この記事に必要なことは、ほとんどこの一行に入っている。運んだ人と、起こした人は別だ。それでも女王は収まらない。「その話は嘘だと言え、そうすれば一州をくれてやる」と持ちかけ、使者が「ご結婚なさいました、女王様」と繰り返すと、今度はナイフを抜く(ト書きにそう指定がある)。使者は「では走って逃げます、私に落ち度はございません」と言い残して退場する。侍女のチャーミアンが「あの男に罪はございません」ととりなす。

念のために書いておくと、この場面はどう見ても喜劇的に書かれている。使者の逃げ足も、女王の言いがかりの大げささも、笑いを取るための設計に見える。劇場では笑いが起きるところだと思う。ただ、笑いのすぐ下に、女王自身による身も蓋もない自己診断が置かれている。

Though it be honest, it is never good / To bring bad news: give to a gracious message / An host of tongues; but let ill tidings tell / Themselves when they be felt.

正直な行いではあっても、悪い知らせを持ってくるのは、けっしていい役回りではない。喜ばしい便りには、いくらでも舌を貸してやればいい。だが悪い報せのほうは、身にこたえたときに自分から名乗り出るのに任せておけばいいのだ。(拙訳)

『アントニーとクレオパトラ』第2幕第5場

つまり彼女には、自分が理不尽なことをしている自覚がある。自覚があって、それでも殴る。ここが人間らしいところだと思う。

なお、クレオパトラという人物そのものについてはCHARACTER 04で、女王の演技性と最後の演出という角度から書いた。この記事で見たいのは女王ではなく、殴られた側——伝える人の立場のほうだ。

そして、使者は学習する

面白いのはここからだと思う。この場面の終わりで、女王は側近に命じる。あの使者にオクタウィアの容姿を、年齢を、気立てを報告させろ、髪の色も忘れずに、と。そして第3幕第3場、同じ使者がふたたび呼び出される。

二度目の彼は、別人のように喋る。背丈は女王より低い。声は低い(女王はすかさず「それはよくないわね、長続きしないわ」と満足し、「口も鈍い、ちんちくりんな女」と決めつける)。そのうえで女王が訊くのが、歩き方だ。

CLEOPATRA: What majesty is in her gait? Remember, / If e'er thou look'dst on majesty. / MESSENGER: She creeps: / Her motion and her station are as one; / She shows a body rather than a life, / A statue than a breather.

クレオパトラ「その女の歩きぶりに、どれほどの気品がある。思い出してごらん、気品というものを見たことがあるならね」/使者「這うように歩きます。動いていても止まっていても同じことで、生きているというより体を見せているだけ、息をする者というより彫像でございます」(拙訳)

『アントニーとクレオパトラ』第3幕第3場

女王は上機嫌になる。「この男はよく分かっている」「見る目がある」と使者を褒め、そこからさらに訊いていく。年は三十くらい、しかも後家。顔は「丸すぎるほど丸い」。髪は茶色で、額は「本人が望むとおりに狭い」。そして金貨を与えて、こう言う——前のきつい仕打ちを悪く思わないでおくれ、またお前を使うことにする、お前は仕事に向いている、と。

ただし、公平に見ておきたいことがある。そもそも女王の質問のほうが「私より背が高いか」「甲高い声か、低い声か」と二択で誘導している。歪めているのは、答えより問いのほうかもしれない。

殴られた使者は、殴られない報告の仕方を身につけて、正式に採用された。二度目の彼が嘘をついているかどうかは、実は劇の中でも確定しない。オクタウィアは別の場面ではおとなしく控えめな人物として描かれるので、彼の報告は「事実の選び方と語り口を、聞き手の望むほうへ寄せた」に近いのだと思う。嘘をつくまでもなく、報告は変わる。そこがいちばん怖いところだ。

知らせが変わって届く、あるいは来なくなる

ここが現代に効いてくるところだろうと思う。悪い知らせを持ってきた人を責めると、次に起きることはだいたい二つに絞られる。知らせが来なくなるか、内容が変わって届くか。

クレオパトラは望みどおりの報告を手に入れた。そのぶん彼女が失ったのは、オクタウィアという人物の実像だ。実際のオクタウィアがどういう人で、アントニーとのあいだに何が起きているのか——彼女はそれを知る手段を、自分の手で一つ壊してしまった。組織で起きていることも、たぶん構造としては同じなのだろうと思う。決めつけるつもりはないけれど、報告が上に行くほど丸くなる、という話は、あまりに広く聞く。

ついでに言えば、シェイクスピアは「歪んで届く報せ」そのものを一度、登場人物にまで仕立てている。『ヘンリー四世・第二部』の幕開けには「噂(Rumour)」という役が出てきて口上を述べるのだ。全身に舌を描いた衣装で登場し、人々の耳にでたらめな報告を詰め込んでやる、と宣言する。噂とは笛のようなもので、当て推量と嫉妬と憶測がそれを吹き鳴らすのだ、という趣旨のことも言う。誰か一人が嘘をついているわけではない。吹き手が多いだけで、音は勝手に変わる。

そしてこの劇の第1幕第1場。息子ホットスパーの戦死を察したノーサンバランドは、言い渋る相手を促しながら、報せを運んでくる者について、こう言う。

Yet the first bringer of unwelcome news / Hath but a losing office, and his tongue / Sounds ever after as a sullen bell, / Remember'd tolling a departing friend.

とはいえ、望まぬ報せを最初に運んでくる者は、損な役回りを引き受けているにすぎない。その声はそれから先ずっと、陰気な鐘の音として響くことになる——友の死を告げて鳴っていた、あの鐘として思い出されるのだ。(拙訳)

『ヘンリー四世・第二部』第1幕第1場

「損な役回り」。この診断は、殴った側ではなく、聞かされた側の口から出ている点が重要だと思う。運び手の声そのものが、悪い記憶と結びついたまま保存されてしまう、と彼は言う。内容は忘れても、誰が持ってきたかは覚えている。あの人が来ると、なんとなく気が重い——その「なんとなく」は、たいていこれだ。

切り分けるのは、聞く側の仕事

悪い知らせが嫌われるのは、たぶん、聞く側が内容と人を切り分けられないからなのだと思う。そして厄介なことに、切り分けの作業は運び手の側からは手を出せない。どんなに言い方を工夫しても、中身が悪ければ声は鐘の音に聞こえる。だからこれは、構造として受け手の仕事なのだ。

シェイクスピアは、王に本当のことを言える人間として道化という職業を用意した(THEME 05)。ただ、免許があるということは、裏を返せば、免許のない人間には本当のことが言えないということでもある。免許を配れる立場にいるのは、いつも聞く側だ。

言いにくいことが言われないまま溜まっていく話は、LENS 06でも書いた。あちらは言わなかった側の話で、こちらは言った人が殴られる話だ。入口は逆だが、行き着く先は同じところになる。誰も何も言わない部屋である。

というわけで、次に誰かが言いにくそうな顔で報告に来たら、僕はまず自分の顔つきのほうを点検することにしたい。使者を殴ると、次からは殴られない報告が届く。殴られない報告だけが届く状態は、たいてい、良い状態ではないと思う。

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