LENS 11

なぜ噂は止まらないのか
——『から騒ぎ』は、全部が又聞きでできている

から騒ぎ

「あの人、辞めるらしいよ」。誰が最初に言ったのかはわからない。聞いた人が別の人に話し、そのまた別の人が「そういえば前から様子がおかしかった」と補強し、いつのまにか既定の事実になっている。そして本人が否定しても、なぜかそちらは同じ速さでは広がらない。

噂のやっかいさは、内容の真偽よりもこの非対称のほうにある気がしてくる。広がるときは勝手に広がるのに、訂正には手で押し戻す力がいる。しかも押し戻したところで、聞いた側の「でも火のないところに煙は立たない」という感触までは消えない。

この構造をほとんど実験装置のように書いた芝居がある。『から騒ぎ』だ。喜劇に分類されているし実際よく笑えるのだけれど、筋を分解すると、動いているのはほぼ全部、立ち聞きと又聞きである。今回はこの劇を、恋愛喜劇としてではなく噂の教科書として読んでみたい。

タイトルからして、たぶん「聞き耳」の話だ

作品メモ 『から騒ぎ』——原題は Much Ado About Nothing。戦から帰った兵たちがメッシーナの総督レオナートの屋敷に逗留する。若い伯爵クローディオは総督の娘ヒアローに恋をし、婚約が整う。一方、口が減らない二人ベネディックとベアトリスは顔を合わせるたびに舌戦を繰り広げ、互いに結婚などまっぴらだと公言している。この二組をめぐって、屋敷じゅうで立ち聞きが仕掛けられていく。

まず、題名の話から始めたい。Nothing は「何でもないこと」だが、当時のロンドンの発音では noting——「気づく」「聞き留める」「書き留める」——とかなり近く響いたと言われている。つまり原題は「大騒ぎしたけれど、結局は何でもなかった話」であると同時に「聞き耳についての、たいへんな騒ぎ」でもある、という説がある。もちろん録音が残っているわけではないので、断定はできない。

ただ、劇の中に、その読みを後押しするような言葉遊びが置かれているのは確かだ。歌い手のバルサザーが歌う前にもったいをつける場面で、ドン・ペドロがこう返す。

BALTHASAR: Note this before my notes; / There's not a note of mine that's worth the noting. / DON PEDRO: Why, these are very crotchets that he speaks; / Note, notes, forsooth, and nothing!

バルサザー「私の歌の前に、これだけは聞き留めておいてください。私の歌には、聞き留める値打ちのある音符など一つもありません」/ドン・ペドロ「まったく、この男の言うことは妙な理屈だ。音符だ、聞き留めろだ、なんのかのと言って、結局は何でもない」(拙訳)

『から騒ぎ』第2幕第3場

note(音符/書き留める)と noting(気づく)と nothing(何でもない)を、三つまとめて転がしている。この直後に起きるのが、まさに「聞き留めることで、何でもないものが実体になる」出来事だ。

仕掛けられた立ち聞き(1)——恋が生まれる

ドン・ペドロたちは暇つぶしに、ベネディックとベアトリスをくっつけようと企む。方法は単純で、本人に聞こえるところで、わざと嘘の会話をするだけだ。第2幕第3場、庭にいるベネディックの近くで、三人が「ベアトリスが彼に恋い焦がれて苦しんでいるらしい」と深刻そうに語り合う。物陰に隠れたベネディックが、彼らの退場後に一人で出す結論が見事だと思う。

This can be no trick: the conference was sadly borne. They have the truth of this from Hero. They seem to pity the lady: it seems her affections have their full bent. Love me! why, it must be requited.

これは仕掛けなどではありえない。あの話しぶりは真剣そのものだった。連中はヒアローから真相を聞いているのだ。あの女性を気の毒がっていたし、どうやら彼女の想いは限界まで張りつめているらしい。おれを愛している。ならば、応えてやらねばなるまい。(拙訳)

『から騒ぎ』第2幕第3場

「これは仕掛けなどではありえない」。仕掛けだったのに、である。しかも彼が挙げる根拠が、そのまま噂の検証の弱点になっている。話しぶりが真剣だった。情報源が確かそうだった。聞いていて自然だった——どれも内容の真偽とは関係のない、語り口についての印象ばかりだ。

同じ手口が、翌場面でベアトリスにも仕掛けられる。第3幕第1場、ヒアローと侍女のアーシュラが、ベアトリスに聞こえる位置で「ベネディックが焦がれ死にしそうだ」と語り合う。飛び出してきたベアトリスの独白は、韻を踏んだ短い詩になっている。

What fire is in mine ears? Can this be true? / Stand I condemn'd for pride and scorn so much? / Contempt, farewell! and maiden pride, adieu! / No glory lives behind the back of such. / And, Benedick, love on; I will requite thee, / Taming my wild heart to thy loving hand: / If thou dost love, my kindness shall incite thee / To bind our loves up in a holy band; / For others say thou dost deserve, and I / Believe it better than reportingly.

耳が燃えるようだ。これは本当のことなのか。私はそれほどまでに、高慢だ、人を見下していると責められていたのか。さらば、侮り。さらば、乙女の意地。そんなものの背中に、誉れなど残りはしない。ベネディック、愛しつづけて。私も応えよう、この荒れた心を、あなたの優しい手に馴らして。あなたが愛してくれるなら、私の情がきっとあなたを促して、二人の愛を聖なる絆に結ばせるだろう。ほかの人たちが、あなたにはその値打ちがあると言っている。私はそれを、人づてに聞いた以上のものとして信じる。(拙訳)

『から騒ぎ』第3幕第1場

最後の一行が効いている。「人づてに聞いた以上のものとして信じる(better than reportingly)」。彼女は、人づてで得た情報だという自覚を持ったうえで、それより強く信じると宣言している。この劇の人物は、自分の情報源を口に出す癖があるのだ。

仕掛けられた立ち聞き(2)——同じ手口で、人が殺されかける

ここからが本題だと思う。まったく同じ手口が、もう一度使われる。ただし今度は、悪意のほうから。

ドン・ペドロの弟ドン・ジョンは、兄の一党が幸福であることそのものが気に食わない男だ。第2幕第2場、手下のボラーチオが計画を持ちかける。自分と親しいヒアローの侍女マーガレットを、夜、ヒアローの部屋の窓辺に呼び出し、そこで自分が彼女を「ヒアロー」と呼びかける。それを離れた場所からクローディオに見せれば、婚約者が別の男を引き入れていると信じるだろう、というものだ(第5幕第1場では、マーガレットがヒアローの服を着ていたとも語られる。ただし劇は、彼女が何も知らされていなかったことを、ボラーチオ自身の口ではっきり否定させている)。第3幕第2場でドン・ジョンがクローディオを誘い出し、計画は実行される。

ここで見落としたくないのは、この窓辺の場面が、舞台では一度も上演されないことだ。観客も「そういうことがあったらしい」と人づてに知らされるだけである。シェイクスピアは、決定的な証拠であるはずの現場を、最後まで誰にも見せない。

そして翌朝の結婚式。第4幕第1場で、クローディオは祭壇の前で花嫁を突き返す。

There, Leonato, take her back again: / Give not this rotten orange to your friend; / She's but the sign and semblance of her honour. / Behold how like a maid she blushes here! / O, what authority and show of truth / Can cunning sin cover itself withal!

さあ、レオナート殿、この娘を返す。腐ったオレンジを友に贈るのはやめていただきたい。この娘は、自分の名誉の看板であり、見せかけにすぎない。ごらんなさい、生娘のように顔を赤らめている。ああ、狡猾な罪というものは、なんという威厳と、まことらしさをまとって、自分を覆い隠すことか。(拙訳)

『から騒ぎ』第4幕第1場

最後の二行が恐ろしい。彼はここで「見た目にだまされてはいけない」と正しいことを言っている。言いながら、まさにその瞬間、見せられた光景にだまされている。ヒアローは弁明を試みるのだが、届かない。彼女は気を失い、フランシス修道士の提案で「死んだことにする」という荒療治に入る(この装置については THEME 09 で書いた)。

つまりこの劇は、同じ手口を二回使い、片方では恋を作り、片方では人を殺しかけている。手口の側には善悪がない。差がついたのは、受け手のほうだ。

効く相手と、効かない相手の違い

立ち聞きにやられた三人の共通点は何か。僕の読み方では、聞かされた話がその人がすでに聞きたかった話か、あるいは恐れていた話だったことだと思う。

ベネディックとベアトリスは、ずっと互いに噛みつき合ってきた。あれだけ執拗に相手のことばかり話す関係が無関心であるはずもなく、二人が本当に欲しかった一言は「向こうもそう思っている」だったはずだ。仕掛けはそれを渡しただけである。

クローディオのほうは、恐れていた側だ。しかも彼には前科がある。第2幕第1場の仮面舞踏会で、ドン・ジョンは人違いを装って「兄上がヒアローに惚れている」と吹き込む。クローディオは一人になるなり「やはりそうだ、殿下は自分のために口説いているのだ」と即断する。実際にはドン・ペドロが彼の代理で口説いていただけだった。彼は同じ劇の中で、同じ人物に、二度だまされている。仲介で得た婚約者に、彼はもともと自信がなかったのだと思う。

この骨格は、LENS 04で書いた話とまったく同じだ。あちらでは、魔女は一度も嘘をつかずにマクベスを破滅させた。信じるかどうかを決めていたのは情報の質ではなく、それを信じたい理由が受け手の側にあるかどうかだった。噂も同じで、強い噂とは面白い噂ではなく、誰かの中にあらかじめ空いている穴に、ぴったりはまる形をした噂なのだろうと思う。

訂正が効かない理由

もうひとつ、立ち聞きには特有の性質がある。自分で見つけたように感じることだ。

誰かに「ベアトリスはあなたが好きらしい」と面と向かって言われていたら、ベネディックはいつもの調子でからかい返して終わっていたと思う。彼が信じたのは、それが自分あてに言われた言葉ではなく、隠れて手に入れた情報だったからだ。人は、能動的に取りにいったと感じる情報を、渡された情報より高く見積もる。

そして高く見積もった情報は、訂正しにくい。訂正を受け入れることは、情報が間違っていたと認めることではなく、それを見抜いた自分の目が間違っていたと認めることになってしまうからだ。クローディオが祭壇で見せる激しさは、裏切られた恋人の怒りであると同時に、自分の判断を守ろうとする力でもあるように、僕には見える。伝言が運び手の都合で形を変えていく話は LENS 09 で書いたが、『から騒ぎ』の場合は運び手が悪意を持っているとも限らない。ヒアローとアーシュラは、善意で嘘をついている。

真相もまた、立ち聞きで届く

この劇の落とし前のつけかたが、僕はいちばん好きだ。真相を暴くのは、聡明なベアトリスでもドン・ペドロでもない。夜警である。劇中でいちばん要領の悪い連中として書かれ、言い間違いばかりしている彼らが、たまたま物陰にいて、ボラーチオの自慢話を聞いてしまう。

I have deceived even your very eyes: what your wisdoms could not discover, these shallow fools have brought to light; who in the night overheard me confessing to this man how Don John your brother incensed me to slander the Lady Hero.

私はあなた方の目そのものを欺きました。あなた方の知恵で見抜けなかったことを、この浅はかな連中が明るみに出したのです。彼らは夜のあいだに、私がこの男に打ち明けているのを立ち聞きした——弟君のドン・ジョンに唆されて、ヒアロー様を陥れたのだ、と。(拙訳)

『から騒ぎ』第5幕第1場

「あなた方の知恵で見抜けなかったことを、この浅はかな連中が明るみに出した」。嘘も立ち聞きで広がり、真相も立ち聞きで出てくる。この劇は最後まで、まっとうな手続きで何かが判明することがない。噂の解毒剤は別の噂であって、検証ではないのだ。

だから僕は、この劇から「噂を信じるのはやめよう」という教訓は取り出せないと思っている。ベネディックもベアトリスも、噂のおかげで幸せになっているのだ。取り出せるとすれば、点検する場所のほうだろう。ある話を聞いて「やっぱりな」と思ったとき、その「やっぱり」がどこから来たのかを、少しだけ疑ってみる。納得が早いということは、その話の形が、自分の中の穴にすでに合っているということなのだと思う。合っているから納得したのであって、正しいから納得したのではない。

とはいえ、これも言うほど簡単ではない。ベネディックは物陰で「これは仕掛けなどではありえない」と、はっきり検証したつもりでいた。人は、だまされている最中にもちゃんと考えているのだ。せめて、自分が今どちらの立場で聞いているのか——聞きたかったのか、恐れていたのか——くらいは思い出せるようにしておきたいと思う。それだけでも、庭の物陰から少しは出られる気がする。

← テーマ一覧にもどる