LENS 05

上司の武勇伝はなぜ退屈なのか
——敵が2人から11人に増えるまで

ヘンリー四世・第一部 / ヘンリー四世・第二部

「俺が若い頃はな」。飲み会の終盤にその一言が出た瞬間、テーブルの空気がわずかに沈むのを感じたことはないだろうか。話している本人に悪気はまったくない。内容だけ取り出せば、一応面白い話でもある。数字はそれなりに派手だし、山場もちゃんとある。それなのに、聞いているのがなぜかつらい。相槌の打ち方に困る。ここは笑うところなのか、感心するところなのか、それすら判断がつかないまま、時間だけが過ぎていく。

この居心地の悪さは、いったい何なのだろう。話がつまらないからではないと思う。同じ内容を別の人が別の場で喋ったら、たぶん普通に面白い。ということは、内容ではなく形式のほうに原因があるということになる。

そして、この形式の問題を、シェイクスピアは史上いちばん面白い形で書き残している。太っちょの老騎士、フォルスタッフの武勇伝だ。

まず、この場面の仕掛けを説明したい

作品メモ 『ヘンリー四世・第一部』——王位を奪って即位したヘンリー四世の治世。その息子ハル王子は宮廷を離れ、居酒屋で飲んだくれの老騎士フォルスタッフたちと遊び暮らしている。第2幕、フォルスタッフ一味は街道で旅人を襲って金を奪う。ところがハル王子と友人ポインズは変装してその強盗をさらに襲い、フォルスタッフたちは金を捨てて逃げ出す。

つまりハル王子は、真相を全部知っている。しかもこの悪ふざけには、最初からはっきりした目的があった。計画を持ちかけたポインズが、企画意図をそのまま口に出しているのだ。

The virtue of this jest will be, the incomprehensible lies that this same fat rogue will tell us when we meet at supper: how thirty, at least, he fought with; what wards, what blows, what extremities he endured; and in the reproof of this lies the jest.

この悪ふざけの値打ちは、あの太った悪党が夕食の席で我々に語るであろう、途方もない嘘にあるのです。少なくとも三十人を相手に戦っただの、どう受け、どう打たれ、どんな窮地に耐えただの。そして、それを暴くところにこそ、この冗談の妙味があるのです。(拙訳)

『ヘンリー四世・第一部』第1幕第2場

金を取ることでも、恥をかかせることでもない。あとで語られる武勇伝を聞くことが、この計画の目的なのだ。ポインズは、まだ起きてもいない嘘の筋書きまで先回りして言い当てている。少なくとも三十人は相手にしたと言うだろう、と。

この時点ですでに可笑しいのだが、僕が注目したいのはその次の一句だ。「それを暴くところにこそ、この冗談の妙味がある」。つまり、盛った話を聞くところまでが計画で、それを崩すところまでが計画なのである。武勇伝は、この居酒屋では最初からひとつの演目として扱われている。

敵の数が、語るそばから増えていく

そして予告どおり、フォルスタッフが戻ってくる。彼は自分で剣につけた傷を証拠として見せながら、いかに孤軍奮闘したかを語り出す。ここからが本番だ。

PRINCE HENRY: What, four? thou saidst but two even now. / FALSTAFF: Four, Hal; I told thee four. / POINS: Ay, ay, he said four. / FALSTAFF: These four came all a-front, and mainly thrust at me. I made me no more ado but took all their seven points in my target, thus. / ... / FALSTAFF: Began to give me ground: but I followed me close, came in foot and hand; and with a thought seven of the eleven I paid. / PRINCE HENRY: O monstrous! eleven buckram men grown out of two!

ハル王子「なんだ、四人だと。ついさっきは二人と言ったぞ」/フォルスタッフ「四人だ、ハル。四人と言ったはずだぞ」/ポインズ「そうそう、四人と言った」/フォルスタッフ「その四人が正面からそろって、力まかせに突いてきた。おれは何のためらいもなく、七本の切っ先をぜんぶこの盾で受けた、こうやってな」/(中略)/フォルスタッフ「連中は後ずさりを始めた。だがおれはぴたりと追って、足と手で踏み込み、あっという間に十一人のうち七人を片づけたのさ」/ハル王子「なんという化け物だ。二人から十一人の麻布男が生えてきたぞ」(拙訳)

『ヘンリー四世・第一部』第2幕第4場

数の推移を追ってみたい。最初、バックラム(ごわごわした麻布)の服を着た敵は2人だった。次の呼吸で4人になる。王子が「さっきは二人と言ったぞ」と突っ込むが、フォルスタッフは動じない。最初から四人と言った、と押し切る。その四人が正面から来て、受けた切っ先は7本になる。王子に「七人だと。さっきは四人だったぞ」と重ねて突っ込まれても、フォルスタッフは剣の柄にかけて七人だと言い張り、そのまま数は9人に増え、最後は「十一人のうち七人を片づけた」で11人に到達する。2人が11人になるまで、わずか数十行である。王子の「二人から十一人の麻布男が生えてきたぞ」は、観客の心の声そのものだと思う。ついでに言えば、この直前にフォルスタッフは「五十人」「五十二、三人」とも口走っている。彼はもともと数に無頓着なのだ。それでもこの場面が名高いのは、麻布男の2から11だけが、王子の突っ込みを挟みながら段階的に膨らんでいくからだと思う。

そして、この場面にはもうひとつ仕掛けがある。その「麻布男」の正体が、麻布を着たハル王子とポインズ本人なのだ。ポインズは計画の時点で「この一件のために麻布の上っ張りを用意してある。目立つ普段着を隠すのだ」と言っている。つまりフォルスタッフは、自分を襲った当人二人を目の前にして、その二人を十一人に増やして語っている。数えている側が、数えられている当人なのだ。

この増え方が絶妙なのは、フォルスタッフが一度も訂正しないことだ。彼は数を言い間違えたのではない。話に熱が入るにつれて自分の中の絵が大きくなり、その絵をそのまま口に出しているだけだ。武勇伝が膨らむときの、本当にありそうな膨らみ方をしている。数字が飛ぶのは、嘘をつこうとしている瞬間ではなく、気持ちよくなっている瞬間なのだ——という観察が、この場面には入っていると思う。

種明かしと、その受け方

やがて王子が真相を明かす。二人が四人を襲って金を奪ったこと、フォルスタッフが悲鳴を上げて逃げたこと、剣の傷は自分でつけたものであること。すべてを並べたうえで、王子はこう切り出す。

PRINCE HENRY: Mark now, how a plain tale shall put you down. / ... / FALSTAFF: Why, thou knowest I am as valiant as Hercules: but beware instinct; the lion will not touch the true prince. Instinct is a great matter; I was now a coward on instinct.

ハル王子「さあ見ていろ、ありのままの話がお前をどう黙らせるか」/(中略)/フォルスタッフ「なあ、おれがヘラクレス並みに勇敢なのはお前も知っているだろう。だが本能というものを侮ってはいかん。獅子は真の王子には手を出さないのだ。本能とは大したものだぞ。おれはあのとき、本能によって臆病者になったのさ」(拙訳)

『ヘンリー四世・第一部』第2幕第4場

追い詰められたフォルスタッフの言い訳が「本能」である。相手が本物の王子だと本能で察していたから、獅子は真の王子に手を出さないから、自分は本能によって臆病者になったのだ——。むちゃくちゃだ。むちゃくちゃなのだが、この開き直りで場は沸き、彼は負けたまま勝つ。CHARACTER 01で書いたとおり、この二人の関係はやがて残酷な結末を迎えるのだが、少なくともこの夜は、まだ幸福な共犯関係のうちにある。

では、なぜ現実の武勇伝は面白くないのか

ここが本題だ。フォルスタッフの話も上司の話も、構造だけ見れば同じ「盛った話」である。それなのに、一方は400年笑われ続け、もう一方は聞くのがつらい。違いは三つあるように思う。

一つめ、聞き手に検証手段があるかどうか。 この場面が可笑しいのは、観客と王子が真相を知っているからだ。答え合わせをしながら聞ける。数が二から四に飛んだ瞬間に、こちらは正確に「今、飛んだ」とわかる。ところが現実の武勇伝には、その物差しがない。盛られている気配は濃厚に伝わってくるのに、どこがどう盛られているかは確かめようがない。宙ぶらりんの疑いだけが手元に残る。これは笑いにならない。

二つめ、語り手が笑われることを引き受けているかどうか。 フォルスタッフは、バレたあとに開き直る。恥をかくところまでが彼の持ち分であり、彼はこの場でいちばん低い位置に立つことを引き受けている。武勇伝の語り手はそこが逆で、話の見返りとして尊敬を求める。求められた側は、それを払うか払わないかを選ばされる。この請求書が、たぶんいちばん重い。

三つめ、その話が誰のためのものか。 ポインズの企画書を思い出したい。あの悪ふざけは、その場の全員のための娯楽だった。フォルスタッフ自身、後年こんなことを言っている。

I am not only witty in myself, but the cause that wit is in other men.

おれは自分が機知に富んでいるだけではない。他人の中に機知を生じさせる原因でもあるのだ。(拙訳)

『ヘンリー四世・第二部』第1幕第2場

自慢のようでいて、これは職能の説明だと僕は思う。彼は自分が面白いことよりも、周りが面白くなることを成果として数えている。だから彼の嘘は、その場に配られる。武勇伝が配られないのは、それが語り手の口座にだけ振り込まれるものだからだ。つまり同じ「盛った話」でも、誰のためにやっているかで価値が反転する。

補助線——目的と代償

LENS 01でエセ関西弁の話を書いたとき、借り物のキャラが許される条件として「目的」と「代償」の二つを挙げた。この物差しは、ここでもそのまま使える。フォルスタッフの目的は場を沸かせることで、代償は自分が笑われることだ。彼はきちんと払っている。武勇伝の場合、目的は語り手の名誉で、代償はゼロ——というより、代償のほうを聞き手が肩代わりしている。

ついでに言えば、この居酒屋の一座は口の悪さでも一級品で、王子とフォルスタッフの罵り合いはそれ自体がひとつの芸になっている(COLUMN 04)。遠慮なく悪口を言い合える関係だからこそ、大きな嘘も安全に置けるのだと思う。逆に言えば、悪口を返せない相手の前で嘘を大きくするのは、かなり危ないことなのだ。

聞き手に、役が与えられていない

結論として僕が思うのは、武勇伝が退屈なのは話がつまらないからではなく、聞き手に役が与えられていないからだ、ということだ。

フォルスタッフの周りには役があった。数を数える人、突っ込む人、種を明かす人、笑い転げる人。全員に台詞がある。だからあの場面は、一人の自慢話ではなく、複数人でつくる一つの芝居として成立している。ところが上司の武勇伝の席で僕たちに配られているのは、うなずく係だけだ。台詞のない役ほど、演じていてつらいものはないと思う。

そう考えると、あれを面白くする方法もないわけではないのかもしれない。聞き手のほうから役を取りにいけばいいのだ。突っ込む人が一人いるだけで、自慢話は芸に変わる。ポインズがやっていたのは、まさにそれだった。もっとも、上司相手にそれをやれるかどうかは、人によるし、職場によるだろうと思う。無理はしないほうがいい。

というわけで、次に「俺が若い頃はな」が始まったら、僕はたぶん敵の数を数えることにすると思う。二周目で数が増えていたら、それはもう立派なフォルスタッフだ。その場合は、心の中で笑っていい——ということにしておきたい。

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