シェイクスピア悪口講座
——史上最高の罵倒を鑑賞する
罵倒にも修辞学がある
シェイクスピアといえば美しい台詞、と思われている。「ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」。「生きるべきか、死ぬべきか」。それは正しい。正しいのだが、彼の台本には、それと同じ筆圧で書かれた史上最高クラスの悪口が大量に埋まっていることは、あまり知られていない。
英語圏には「シェイクスピア悪口ジェネレーター」なるお遊びサイトが複数あり、彼の罵倒語をランダムに組み合わせて悪口を生成できる。それくらい、彼の悪口は愛されている。今回は名悪態を鑑賞しながら、なぜシェイクスピアの悪口はこんなに気持ちいいのか、その修辞学を考えてみたい。……先に言っておくと、この記事の引用は例外なく口が悪い。紳士淑女の皆さまは、鑑賞用と割り切って読んでほしい。
第一講——悪口は「具体物」で殴れ
シェイクスピアの悪口の第一原則は、抽象語で罵らないことだ。「愚か者」「卑怯者」では殴力が足りない。彼の悪口は、必ず目に見える物体を投げつけてくる。
教材として最高なのが、『ヘンリー四世・第一部』の居酒屋の場面。ハル王子と太っちょ騎士フォルスタッフの、伝説の罵り合いだ。まず王子がフォルスタッフの巨体を攻める。
This sanguine coward, this bed-presser, this horseback-breaker, this huge hill of flesh.
この赤ら顔の臆病者、ベッド潰し、馬の背骨折り、この巨大な肉の山め。(拙訳)
『ヘンリー四世・第一部』第2幕第4場
「肉の山」。悪口が風景になっている。対するフォルスタッフは、痩せた王子を干物の連打で迎え撃つ。
You starveling, you elf-skin, you dried neat's-tongue, you stock-fish!
この飢えかけめ、妖精の抜け殻め、干からびた牛タンめ、この棒鱈め!(拙訳)
『ヘンリー四世・第一部』第2幕第4場
デブに対してヤセで応じる、実に低レベルな争いである。だが表現の解像度を見てほしい。ただ「痩せてる」ではなく、牛タンの干物、棒鱈——市場に並んでいる具体的な干物のリストなのだ。観客は全員その干物を知っているから、聞いた瞬間、王子の細さが目に浮かんで笑うしかなくなる。悪口の強さは、罵倒語の強さではなく、イメージの解像度で決まる。これが第一講だ。
ちなみに小柄な相手への悪口では、『じゃじゃ馬ならし』の召使い同士の「この三インチの阿呆め(you three-inch fool)」が簡潔にして完璧だ。身長を測ってやるな。
第二講——悪口は「列挙のリズム」で押し流せ
第二の武器は、畳みかけだ。シェイクスピア劇最長にして最高の連続罵倒として名高いのが、『リア王』のケントの啖呵である。THEME 05で「直言して追放された忠臣」として登場したあのケントが、変装して王に再仕官し、王を侮辱した執事オズワルドに出くわして、「おまえは何者だ」と聞かれる。その答えがこれだ。
A knave; a rascal; an eater of broken meats; a base, proud, shallow, beggarly, three-suited, hundred-pound, filthy, worsted-stocking knave; a lily-livered, action-taking knave...
ごろつきだ。悪党だ。残飯食らいだ。下劣で、思い上がった、底の浅い、物乞い同然の、服を三着しか持たない、薄汚い、毛糸靴下の悪党だ。肝っ玉の白い、すぐ訴えると言い出す悪党だ……(拙訳)
『リア王』第2幕第2場
実物はこの3倍続く。注目は「服を三着しか持たない」「毛糸靴下」という、妙に細かい経済状況への言及だ(当時、絹の靴下を買えない身分の象徴が毛糸の靴下だった)。人格への抽象的な罵倒と、持ち物への具体的な指摘を交互に浴びせる。相手は反論の隙もない。悪口は単発で撃つな、リズムに乗せて連射しろ。息継ぎの位置まで設計されたこの啖呵は、罵倒というより、ほとんど詩の朗読だ。
実際、これは演技論としても正しい。この長さの罵倒を一息で言い切る技術は、役者の見せ場として今も生きていて、ケント役の俳優はこの台詞で拍手をもらうことがある。悪口が芸になる瞬間である。
第三講——悪口には「人格」が出る
第三講は、少し深い話。シェイクスピアの悪口は、言う側のキャラクターの縮図になっている。誰の悪口か伏せて読んでも、当てられるくらいだ。
たとえば『マクベス』終盤、追い詰められたマクベスが、青ざめて報告に来た召使いに浴びせるこれ。
The devil damn thee black, thou cream-faced loon! / Where got'st thou that goose look?
悪魔に真っ黒に焼かれてしまえ、このクリーム色の面をした間抜けめ! そのガチョウみたいな顔はどこで拾ってきた?(拙訳)
『マクベス』第5幕第3場
恐怖で血の気の引いた顔を「クリーム色」と呼ぶ。色彩の悪口だ。この劇はずっと「白い顔=臆病」「赤い手=罪」という色のイメージで動いてきた(夫人は夫の白い心臓を罵り、二人の手は血で赤い)。マクベスの悪口は、彼の追い詰められた精神がそのまま色彩感覚に出ている。
一方、ハムレットの悪口は徹底して知能戦だ。彼はオフィーリアの父ポローニアスに、突然こう言う。「おまえは魚屋(fishmonger)だな」。ポローニアスは「違います」と真顔で否定するが、狂人のふり(THEME 01)の陰から放たれるこの一言は、「娘を餌に俺を釣ろうとしているのは知っているぞ」という皮肉だと読める。刺さったかどうかも相手に分からせない、暗号化された悪口。腕力の悪口(フォルスタッフ)、経済の悪口(ケント)、色彩の悪口(マクベス)、暗号の悪口(ハムレット)——罵り方は、その人の世界の見え方そのものなのだ。
最終講——最高の悪口が、愛情表現でもあるという事実
最後に、種明かしをひとつ。この記事で見た最高の悪口ふたつ——居酒屋の罵り合いと、ケントの啖呵——には、共通点がある。どちらも、愛の裏返しだということだ。
ハル王子とフォルスタッフの応酬は、憎み合いではなく、行きつけの店の悪友同士のじゃれ合いだ。あの干物の連打は、互いの体型を知り尽くし、どこまで言っても壊れない関係だと信じているからこそ撃てる。そしてケントの怒涛の罵倒は、主君リアを侮辱した男への怒りから出ている。追放された身でありながら変装してまで仕えに戻った忠臣の、忠義が沸点を超えた音なのだ。
本当に軽蔑した相手には、イアーゴーがそうしたように(THEME 04)、人は悪口ではなく沈黙と嘘を使う。声に出して罵るのは、まだ相手が自分の世界の中にいる証拠。シェイクスピアの悪口が400年たっても気持ちいいのは、修辞の技術もさることながら、その多くが生きた関係の中で撃たれているからだと思う。悪口は、関係の温度計なのだ。
——というきれいなまとめで終わってもいいのだが、悪口講座なので、実技の宿題を出しておきたい。今度誰かの機嫌をそこねたときは、「バカ」の代わりにこう言ってみてほしい。「この干からびた牛タンめ」。たぶん喧嘩は笑いで終わる。それがシェイクスピア流である。