THEME 13

弟はなぜ裏切るのか
——長子相続が作る悪役たち

お気に召すまま / リア王 / テンペスト / ハムレット

シェイクスピア劇の裏切り者を、思いつくまま紙に書き出してみたことがある。オリヴァー、フレデリック、エドマンド、アントーニオ、クローディアス。書き終えてから、妙な偏りに気づいた。争いの中身がほとんど全部「取り分」の話で、しかも五組のうち四組までが、下の立場——弟か庶子——の側から起こされている。長男の側から仕掛けているのはオリヴァーだけだ。一人二人なら偶然だが、これだけ揃うと、個々の性格の問題として片づけるのは難しいと思う。

そこで前提として、当時の相続制度を確認しておきたい。イングランドの土地相続は、原則として長子相続——長男が地所も家名もほぼ丸ごと受け継ぐ仕組みだった(地域ごとの慣習や遺言による例外はあるが、大枠はこれである)。次男以下に回るのは、わずかな金や年金くらい。生きる道は聖職者か、軍人か、商売か、あるいは金のある家に婿入りするか。庶子に至っては、はじめから相続の枠の外に置かれる。同じ親から生まれ、同じ家で育ち、しかし片方だけが全部を持つ。この落差が、法によってあらかじめ用意されている。今回は、その制度を補助線にして、シェイクスピアの兄弟劇を読んでみたい。

お気に召すまま——一本の劇に、兄弟対立が二組

作品メモ 『お気に召すまま』——亡父の遺言に反して兄オリヴァーに冷遇されている弟オーランドーは、家を出てアーデンの森へ逃れる。森には、弟フレデリックに公国を奪われた前公爵が家来たちと暮らしている。前公爵の娘ロザリンドも宮廷を追われ、男装して森に入る。喜劇の代表作のひとつ。

この劇は、開幕の一行目から弟の不満で始まる。オーランドーは、父の遺言が兄に命じた「弟をちゃんと育てよ」という一条を握りつぶされ、屋敷の隅で飼い殺しにされている。

He lets me feed with his hinds, bars me the place of a brother, and, as much as in him lies, mines my gentility with my education.

兄は僕を下男たちと一緒に飯を食わせ、弟の座を与えず、できるかぎり、僕の育ちを教育ごと掘り崩そうとしている。(拙訳)

『お気に召すまま』第1幕第1場

「掘り崩す(mines)」は、城壁の下に坑道を掘って崩す軍事用語だ。兄がやっているのは殴ることではなく、弟が紳士になるための土台を、下から少しずつ抜いていくことである。馬にはちゃんと調教をつけるくせに、弟には何もしない、とオーランドーは言う。ここで注意したいのは、オリヴァーの側にも一応の理屈があることだ。財産を分けてしまえば家は痩せる。長子相続は、家を割らないための制度でもある。制度に忠実であろうとするほど、弟は邪魔になる。

面白いのは、この劇が兄弟対立を二組同時に走らせていることだ。屋敷ではオリヴァーが弟を、宮廷では弟フレデリックが兄の前公爵を追い落としている。しかも向きが逆で、片方は兄が加害者、片方は弟が加害者。つまりシェイクスピアは、「弟は生まれつき悪い」という話を書いていない。上と下の落差さえあれば、どちらの側からでも同じ争いが起きると書いている。

そして森に入ると、二組とも和解する。オリヴァーは弟に命を救われて改心し、フレデリックは森の入口で信心深い老人に出会って公国を返す。ご都合主義といえばそうなのだが、僕の読み方では、これは「宮廷と屋敷を離れると兄弟が仲直りできる」という配置そのものが眼目だ。争いの原因が人ではなく場所——つまり相続と地位の制度が働いている場所——にあるという言い方に見える。恋愛のほうも森でまとめて解決してしまうこの劇の乱暴さについては、THEME 02で別の角度から書いた。

リア王のエドマンド——制度への異議申し立てとして聞く

作品メモ 『リア王』の副筋。グロスター伯には、嫡子エドガーと庶子エドマンドの二人の息子がいる。エドマンドは偽の手紙を使って兄エドガーを謀反人に仕立て上げ、家を追われた兄は狂人を装って荒野をさまようことになる。

エドマンドが観客に向かって語る独白は、シェイクスピアが書いた最も理屈の通った悪役の弁だと思う。

Why bastard? wherefore base? / When my dimensions are as well compact, / My mind as generous, and my shape as true, / As honest madam's issue? ... Now, gods, stand up for bastards!

なぜ私は私生児なのか。なぜ卑しいのか。この体の造りはしっかりしているし、心根の気高さも、姿かたちの正しさも、正妻の産んだ子に劣らないというのに。(中略)さあ神々よ、私生児のために立ち上がってくれ。(拙訳)

『リア王』第1幕第2場

体も頭も姿も兄に劣らない。にもかかわらず、生まれた順と、生まれた寝床の違いだけで、自分は「卑しい」と呼ばれ、何も受け取れない。——切り離して読めば、これは反論しにくい。悪役の独白としてではなく、制度への異議申し立てとして聞くと、かなり筋が通ってしまうのだ。THEME 04で書いたとおり、シェイクスピアの悪役は観客に直接語りかけて共犯者を作るが、エドマンドの場合、その語りかけの中身が正論に近いぶん、いちばん厄介だ。

もちろん、正論の先で彼がやることは、父を破滅させ、兄を追い、姉妹を天秤にかけ、最後にコーディリアの処刑を命じることである。制度が不当だという主張と、その主張を根拠にした行動の残酷さは、まったく釣り合わない。ただ、この釣り合わなさこそが読みどころだと思う。もしエドマンドが単なる悪人なら、観客は安心して見ていられる。彼の言い分に半分うなずかされてしまうから、この副筋は苦い。

テンペスト——書斎に籠った兄と、実務を握った弟

作品メモ 『テンペスト』——ミラノ大公プロスペローは弟アントーニオに地位を奪われ、幼い娘とともに船で流された。12年後、魔法を極めた彼は嵐を起こし、仇敵たちの船を孤島へ引き寄せる。シェイクスピア最晩年の作のひとつ。

ここでの兄弟対立は、刃物ではなく事務で起きる。プロスペローが娘に語る回想を読むと、乗っ取りの手順がはっきりしている。

I thus neglecting worldly ends, all dedicated / To closeness and the bettering of my mind ... in my false brother / Awaked an evil nature.

こうして私は世俗の務めをなおざりにし、ひたすら隠遁と、己の精神を磨くことに打ち込んでいた。(中略)それが、あの不実な弟の中の悪しき性根を目覚めさせたのだ。(拙訳)

『テンペスト』第1幕第2場

兄は書斎に籠り、面倒な実務を弟に丸投げした。弟は日々の決裁を握り、人事を握り、やがて「実際に公国を回しているのは自分だ」という事実を手に入れる。あとは名前を合わせるだけだ。油断と実務の組み合わせによる、静かな乗っ取りである。しかもプロスペローの語り口は妙に率直で、弟の悪を責めながら、自分が仕事を放り出したことも認めている。地位だけを持つ兄と、能力だけを持つ弟。ここでも問題は性格ではなく、名目と実質がずれた配置のほうにある気がする。

そして終幕。プロスペローは仇敵たちを許すのだが、弟に向けた赦しの言葉が、驚くほど冷たい。

For you, most wicked sir, whom to call brother / Would even infect my mouth, I do forgive / Thy rankest fault; all of them; and require / My dukedom of thee, which perforce, I know, / Thou must restore.

そしてあなただ、この上なく邪悪な人よ。兄弟と呼べば、この口が穢れる。それでもあなたのいちばん腐った罪を、私は許す。すべての罪を許す。そのうえで公国の返還を求める。返さざるをえないことは、わかっているはずだ。(拙訳)

『テンペスト』第5幕第1場

口が穢れる、と言ってから許す。しかも同じ息で領地を返せと言う。和解というより、清算に近い。アントーニオは、この赦しに一言も返さない。劇の終わりで彼が口を開くのは、キャリバンたちを見て「あれは売り物になる魚だ」と茶化す一言だけで、兄への返答は最後までない。この赦しの短さと冷たさをどう取るかは読み手次第だが、僕はTHEME 11で書いた「自分から手放す」という主題と重ねて読みたい。魔法を捨てると決めた人が、弟への恨みだけは最後まできれいに捨てきれていない——そう読むほうが、この台詞は人間らしい。

ハムレット——そもそもの発端が、兄弟殺しだった

最後に『ハムレット』を置く。この劇の出発点は、弟クローディアスが兄の耳に毒を注いだことだ。亡霊の証言も、劇中劇の仕掛けも、王子の逡巡も、すべてこの一件から派生している。そのクローディアスが、第3幕で一人になり、祈ろうとして祈れない場面がある。

O, my offence is rank, it smells to heaven; / It hath the primal eldest curse upon't, / A brother's murder.

ああ、私の罪は腐りきって、天まで臭う。この罪には最も古い、いちばん初めの呪いがかかっている。兄弟殺しという呪いが。(拙訳)

『ハムレット』第3幕第3場

「最も古い、いちばん初めの呪い」——カインとアベルへの言及だと考えるのが自然だと思う。人類最初の殺人が兄弟殺しだった、という聖書の記述だ。ここでシェイクスピアは、王位簒奪という政治的な事件を、人間の最も古い罪の再演として言い直している。政治の話が、いきなり創世記まで巻き戻される。当時の観客なら説明なしで通じたはずで、そのぶん台詞が短くて済んでいるのだろう。

並べてみて見えること——長子相続は、対立の製造機だった

五つの兄弟対立を並べてみる。オリヴァーは家を割らないために弟を締め出し、フレデリックは兄から公国を奪い、エドマンドは「なぜ庶子は何も貰えないのか」と問い、アントーニオは実務の手で兄の名目を回収し、クローディアスは兄を殺して王冠と妻をまとめて手に入れた。動機は復讐でも思想でもなく、ほとんど全部が取り分の話である。

こうして見ると、シェイクスピアの兄弟対立は「悪い性格」ではなく「制度が作る構造」に見えてくる。全部を持つ者と何も持たない者を、同じ食卓に座らせ、同じ姓を名乗らせ、同じ屋根の下で暮らさせる。長子相続とは、要するに対立の製造機だった。しかも家が続くかぎり、次の世代でもう一度同じ機械が回る。エドマンドの独白があれほど鋭いのは、彼だけが機械の存在に気づいて、それを声に出しているからだと思う。

ところで、兄弟の争いを書いた劇は、たいてい和解で終わる。『お気に召すまま』も『テンペスト』もそうだし、兄妹の再会で閉じる『シンベリン』にも同じ手触りがある。ただ、和解の言葉はどれも短い。オリヴァーの改心は人づてに報告され、フレデリックの回心は伝聞で片づけられ、アントーニオは何も言わない。恋人たちの和解には何十行も費やす作家が、兄弟の和解にはほとんど台詞を書かないのだ。僕の読み方では、それは手抜きではない。血縁の赦しというものが、そもそも言葉になりきらないという正直さだと思う。長い演説で解決できるなら、五組も書く必要はなかったはずだから。

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