COLUMN 08

世界一有名な遺言状
——妻に残されたのは「二番目に良いベッド」

1616年の一枚の紙が、400年ゴシップであり続けている話

1616年の春、シェイクスピアは自分の遺言書に署名した。死のひと月ほど前のことだと語られている。そして驚くべきことに、その文書の現物が今も残っている。台本の自筆原稿は、共作劇『サー・トマス・モア』の三ページ分が彼の筆跡だろうと言われているのを除けば、ほとんど残っていないのに、財産の分け方を書いた事務書類のほうは残っているのだから、歴史の残し方というのはつくづく気まぐれだと思う。

その遺言書の中に、たった一行、四百年ゴシップであり続けている箇所がある。今回はその一行と、それをめぐる解釈合戦の話だ。

まず、遺言書の中身をざっと見る

全体としては、当時の遺言書の書式にのっとった、たいへん実務的な文書だと語られている。冒頭に信仰の定型句があり、そこから遺贈の項目が並ぶ。

まず、財産の大半——ストラトフォードの大きな家「ニュー・プレイス」をはじめとする不動産のまとまり——は、長女スザンナに渡る。夫のジョン・ホールは遺言執行者に指名され、動産の残りをスザンナと共に受け取る立場だ。しかも不動産はその先の相続順位まで細かく指定されていて、資産を分割せずに男系の子孫へ引き継がせようとする設計だったと語られている。要するに、家名と財産をひとかたまりのまま次代へ送る意図が透けて見える。

次女ジュディスには、金銭の遺贈が条件つきで与えられる。この条件がやけに慎重で、結婚相手をめぐるひと騒動が背景にあったのではないか、と語られてきた。遺言書に署名した年に、彼女の結婚をめぐって家族にとって具合の悪い出来事が実際に起きており、その記録も残っている。ただし遺言書そのものには、条件をつけた理由までは書かれていない。

そして妻のアンである。

問題の一行

Item I gyve unto my wief my second best bed with the furniture.

一項、私は妻に、二番目に良いベッドを、その付属の一式とともに与える。(拙訳)

『シェイクスピアの遺言書』(1616年)※原本の綴りのまま。判読の難しい箇所があり、翻刻には異同がある

これだけである。妻に関する記述は、この遺言書の中でここ一箇所しかないと語られている。しかも、この行は文書の本文にあらかじめ書かれていたものではなく、行間に後から書き足された形になっていると伝えられている。つまり書き足す前の状態では、妻についての記述はなかったことになる——ただし、それがいつ書き足されたのかまでは分かっていない。

この一行が四百年もつつき回されてきた理由は、わかりやすい。世界一の言葉の使い手が、人生の最後に自分の妻について書いた言葉が、たった十数語の事務文で、しかも「二番目」なのだ。オセローもクレオパトラも書いた男が、である。ドラマとして出来すぎている。

解釈合戦——どれにも決め手がない

説はおおまかに三つに分かれる。

①冷遇説。 いちばん素朴で、いちばん人気のある読み方だ。二人の結婚は、アンが年上で、しかも急ぐ事情があったところから始まったと語られている。シェイクスピアはその後ロンドンで長く暮らし、家族はストラトフォードに残った。別居に近い状態が続いた末の「二番目のベッド」なら、それは冷たさの表明ではないか——という筋書きである。物語としてはよく出来ているが、これを裏付ける直接の記録はない。

②愛情説。 当時の裕福な家では、いちばん良いベッドは客をもてなすための備品で、夫婦が実際に寝るのは二番目のベッドだった、という説がある。それが正しければ、「二番目に良いベッド」とは夫婦の記憶がしみ込んだ寝台そのもの、つまりきわめて私的な形見ということになる。冷遇どころか、この一行だけが個人的な感情の表れだ、という逆転の読みだ。ただし、この習慣がシェイクスピアの家でも同じだったと示す記録はない。

③慣習説。 当時の法慣習では、寡婦は夫の遺産の一定部分を自動的に受け取ることができたので、わざわざ遺言書に書く必要がなかった——という説である。実務家として考えれば、書かなくても妻に渡るものをあえて書かないのは、冷たさではなく単なる合理性ということになる。これも、彼が実際にそう考えていたと示す記録はない。

三つとも筋は通るが、三つとも決め手を欠く。僕の読み方では、面白いのはどの説が正しいかよりも、この空白を人が四百年埋め続けてきたことのほうだ。書かれなかったことについて、これだけ多くの人が語り続けている。皮肉なことに、それは彼が劇の中で何度もやってみせた手法でもある。THEME 07で見たとおり、彼は「言わなかった」台詞を舞台の中心に置くのがうまい作家だった。

ところで、遺言書は劇のモチーフでもある

遺言と相続は、彼の台本にもよく出てくる。『ヴェニスの商人』のポーシャは、亡き父が遺言で決めた箱選びの手続きに縛られて、自分では夫を選べない。

so is the will of a living daughter curbed by the will of a dead father.

こうして、生きている娘の意志は、死んだ父の遺言に押さえつけられているわけです。(拙訳)

『ヴェニスの商人』第1幕第2場

原文の will は「意志」と「遺言」の両方を意味する語で、一行の中で二度、別の意味で使われている。死者の書いた紙が、生きている人間の人生を動かしてしまう——この感覚を、彼はよくわかっていたのだと思う。ハムレットの「葬式でふるまった肉のパイが、冷めたまま婚礼の食卓に並んだ」という毒のある一言も、死と財産と体裁がひとつながりであることへの、たいへん彼らしい観察だ。

Thrift, thrift, Horatio! the funeral baked meats / Did coldly furnish forth the marriage tables.

倹約だよ、倹約、ホレイショー。葬式でふるまった肉のパイが、冷めたまま婚礼の食卓に並んだのさ。(拙訳)

『ハムレット』第1幕第2場

遺言書がもたらした、思わぬ副産物

ベッドの話に隠れがちだが、この遺言書にはもう一箇所、後世にとって重大な行がある。劇団の同僚俳優たちへの、指輪を買うための小額の遺贈だ。

to my ffellowes John Hemynges Richard Burbage & Henry Cundell xxvj s viij d A peece to buy them Ringes.

わが仲間のジョン・ヘミング、リチャード・バーベッジ、ヘンリー・コンデルに、それぞれ二十六シリング八ペンスを、追悼の指輪を買うために。(拙訳)

『シェイクスピアの遺言書』(1616年)※原本の綴りのまま。判読の難しい箇所があり、翻刻には異同がある

金額としては、まったくささやかなものだ。ところがこの三人のうち二人、ヘミングとコンデルが、それから七年後に大仕事をする。彼らはシェイクスピアの戯曲を集めた大判の作品集——後に「ファースト・フォリオ」と呼ばれる本を、1623年に世に出すのである。

この本が重要なのは、単に立派だからではない。生前に単独で印刷された台本はおよそ半数にすぎず、残りの十八作は、この本がなければ丸ごと失われていた可能性が高いと語られている。『マクベス』も『テンペスト』も『十二夜』も、そこに含まれる。彼についての現存最古の言及が同業者からの悪口だったことを思うと(COLUMN 07)、最後に台本を救ったのが同業の仲間だったというのは、なかなか出来すぎた話だと思う。指輪代の遺贈がその動機だったという記録はないけれど、遺言書に名前を書き足したことが、結果的に多くの作品の生存につながった、とは言えるかもしれない。

遺言書は、最後の手紙でもある

遺言書というのは、財産の設計図だ。同時に、残された人が何度も読み返す最後の手紙でもある。書いた本人はもう説明できないので、そこに書かれた言葉と、書かれなかった空白の両方が、いつまでも読まれ続ける。

シェイクスピアは、人生の引き際そのものはかなり上手にやった人だったと思う(THEME 11)。人気の絶頂からそう遠くない時期にロンドンを離れ、故郷で不動産を持ち、家督の行き先まで指定して死んだ。実務としては、ほぼ完璧だ。それでも一行の書き方をひとつ間違えたせいで、四百年にわたって夫婦仲を詮索されている。

現代の終活にも、たぶんそのまま使える教訓だと思う。遺言書に書く「誰に何を」は、金額の問題であると同時に、メッセージの問題でもある。そして、いちばん強いメッセージになってしまうのは、たいてい書かなかったところのほうだ。

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