「結婚で終わる喜劇は、本当にハッピーエンドなのか」「狂ったふりと本物の狂気は、どこで見分けるのか」。作品を一本ずつ解説するのではなく、37作品を貫くテーマを一本ずつ掘っていく読み物サイト。あらすじの補足つきで、シェイクスピアを読んだことがなくても大丈夫。
「狂ったふり」を宣言するハムレット、本当に壊れていくオフィーリアとリア王、完璧に狂人を演じきるエドガー、眠りの中でだけ罪に追いつかれるマクベス夫人。5人の「狂った人たち」を演技度順に並べてみると、狂気が「真実の通り道」になっていることが見えてくる。
シェイクスピアの喜劇は結婚で終わる。でもその結婚、よく見ると相当あやしい。演じられているかもしれない服従スピーチ、罰として配られる結婚、プロポーズに返事をしない花嫁。「めでたしめでたし」の裏側を読む。
ヴァイオラ、ロザリンド、ポーシャ。男装するヒロインたちの物語は、当時「女性役はすべて少年俳優が演じた」という上演事情と重なると、二重三重——ときに四重にねじれた構造が見えてくる。
リチャード三世は開幕早々、観客に犯行予告をする。イアーゴーは計画の進捗を逐一報告してくれる。悪役はなぜ客席とばかり親密なのか。観客を「共犯者」にする独白の仕掛けを考える。
忠臣は直言して追放され、末娘は沈黙して勘当された。なのに道化だけは、王の目の前で王の愚かさを歌い続けて許される。「愚か者の免許」という制度と、その効力の範囲を考える。
ハムレットの亡霊は、最初は皆に見えるのに、後半は一人にしか見えなくなる。マクベスの短剣は本人すら幻と自覚している。「誰に見えるか」の設計から、超自然という装置の正体を考える。
愛を計量しようとしたリア王、「娘よ! 金貨よ!」と叫んだシャイロック、娘の恋を自作自演したプロスペロー。シェイクスピアの父たちは、娘を手放す場面でことごとくつまずく。家父長の愛と所有のあいだを読む。
役に酔ったリチャード二世、眠れなくなったヘンリー四世、変装して役の外に出てみたヘンリー五世、眠りを殺したマクベス。シェイクスピアの王たちを貫く法則——王冠と眠りは交換される。
「永遠の愛」の代名詞を時系列表にすると、日曜に出会い、月曜に結婚し、木曜の夜に二人とも死ぬ。原作の9か月を5日に圧縮したのはシェイクスピア本人だ。この異常な速度こそが主役である。
英語圏の劇場では、楽屋でこのタイトルを口にしてはいけない。呼ぶときは「スコットランドの芝居」。破った者への「お祓い」の作法まである。400年続く演劇界最大の都市伝説の中身と正体を考える。
break the ice、love is blind、緑の目の怪物、そしてノックノックジョークの原型まで。日常英語に埋まった400年前の台詞を発掘する。英語学習のネタにもどうぞ。
「この三インチの阿呆め」「干からびた牛タンめ」。シェイクスピア劇は史上最高の悪口の宝庫でもある。ケントの怒涛の連続罵倒からフォルスタッフの応酬まで、名悪態を鑑賞しながら罵倒の修辞学を学ぶ。
最多死者数の栄冠は? ワインの樽で溺死、熊に追われて退場、そしてパイ。死者数と死因を集計すると、「量で殴る初期」から「一人の死で殴る円熟期」への設計思想の変化が見えてくる。
放蕩王子から英雄王へ。ただしこの成長は、第1幕の独白で「計画済み」と種明かしされている。これは成長か、演技か。そして代金として捨てられた親友フォルスタッフの話。三部作を貫く人物の変化を追う。
開幕では夫より冷酷だったはずの人が、なぜ眠りの中で壊れたのか。「私を女でなくしてくれ」の祈りを不足の自己申告として読み直すと、最初から予告されていた下降アークの設計図が見えてくる。
台本上は喜劇の敵役。なのに400年の上演史は、彼を悲劇の主人公に変えてきた。「ユダヤ人には目がないのか」の演説を軸に、書かれた人物と演じられた人物のずれを追う。
気分屋で、芝居がかっていて、嘘つきで、それでも目が離せない。シェイクスピアが書いた最も複雑な女性は、自らの死を史上最高の舞台として演出して幕を下ろす。